SuperSaaSビジネスコラム

今回はレストラン経営に携わっていた方の執筆による記事をお楽しみ下さい。

オーナーレストラン経営の例

フランス料理店の現状

高校を卒業し、調理師専門学校に通うか飲食店で修行する若いシェフ。毎年多くのレストランが誕生してはなくなっていきます。
この業界は常に戦国時代といわれています。フレンチと呼ばれるフランス料理のレストランは、どの地域にもありますが、その形態は様々です。
カウンタースタイルのワインバー、30席キャパの店、フランスと日本両方で店を経営する趣向性の高いレストラン、ホテル内のレストラン…と、まさに様々にあります。

宣伝方法

レストランが成功するか否かは「立地」と「宣伝」にかかっています。オーナーシェフの場合は大方「ここだ!」という勘で場所を決めてしまうものです。
このビルの地下、この階段を歩く樫(木製)のがっしりしたドアが開いて…などと妄想だけが広がってしまうのがシェフというもの。客の導線をしっかりと頭に描いて、物件を定めます。

宣伝は「いかに知られるか」か「いかに知られないか」の2つ。知られるとは当たり前のことで、ビルのどこかに趣味のよい看板を置くことと、駅の近くで営業開店のビラをまくことです。
今雑誌に掲載したり、今ですと、ネットで宣伝、あるいはリクルートのポンパレに登録するのが今時のやりかたでしょうか。知られないか、というのは「わざと隠れ家のようにする」方法。「照明」にお金をかけて、外壁に小さく、それでいて遠くからでも見えるような特徴のあるものにします。

失敗談

失敗談といえば、自分がオーナーだったときは、東京のど真ん中で修行をして何人かいるシェフのトップになったことで、鼻が高くなり勢いで店を出してしまったことです。
もちろん高校時代からバイトでお金を溜め込んで、修業時代も入れると1000万円ほどの現金がありましたが、それだけでは開業資金には足りませんでした。
わずか32席のレストランにカウンターも設置し、什器も最高のものを求めていきました。フォンドヴォーも本当にイチから大きな寸胴でつくりましたので、ガス代もかかりました。
ワイングラスもいいものを揃えてしまい、客単価に見合わない高級感と、お客さんが注文する安いテーブルワインとのギャップに、しまったと思っていました。
自分の思いばかりが先攻して、お客がワインでどんちゃん騒ぎ…まあ、オーナーだからできるよなあ、と思いましたが、カウンターがあるのだから居酒屋と思われるかぁ、と少々気が滅入りました。

運営に関するアドバイス

レストランは「開業することはたやすく、続けることが難しい」業種です。
如何に気に入ったビルであっても、隣近所がいつ変わるかわかりません。自分が開業したときは小さなビルの一階で、隣が粋な割烹料理屋でした。
ところが、いつのまにかそば屋に変わってしまいました。暖簾も大きく揺れ、フランス料理屋の看板が目立たなくなってしまいました。

ですから、できるだけ隣がどんな店か、あるいは隣がない一棟ビルのワンフロアのような場所でなければ、イメージが狂ってしまいます。
フレンチをおしゃれに楽しんでもらおうと店構えをコーディネートしたのに、隣が派手な古本屋さんや風俗関係の店になってしまっては、カップルや家族客は寄り付きません。ロケーションはよくよく考えて決める事が、全ての始まりと終わりにつながります。

運営してよかった点

正直にいえば、成功はしなかったのが本音です。
幸い借金はわずかで済み、現在は雇われシェフの身で完済し、人生をやり直しています。(まだ夢はあきらめていませんが、妻がうんと言いません)ですが、夢であった一国一城の主であったのは本当に楽しかったです。
一番の思い出は隣近所の住民がファンになってくれて、集会場のようになってくれたことでしょうか。フランス人のお客さんで贔屓になってくれた人もおり、喜んでもらいました。

レストランは当たるか外れるかは賭けのようなものですし、時代というものにも巡り会うかどうかがあります。
廃業しましたが、いまだにレストランの時の常連さんの会があって、私もときどき料理を振る舞います。釣った魚をさばいてくれ、などと気軽に言ってくる人もいて、この雰囲気がやめられません。
やはり、人間関係をじっくりと学んだことが大きかったです。調理場だけでこもっていたら、人生自分が井の中の蛙になっていたと思います。

ビジネスを始めた動機

商売を始めようとおもったのは、高校生のときです。
親が小料理屋をやっていたのですが、体を悪くして勤め人になりました。ですが、ときどき朝5時ごろ起こされて魚河岸に散歩に連れて行ってもらいました。

同級生がパソコンだ、システムエンジニアだと騒いでいた時に、自分は包丁を研ぐ練習をしていました。
ビジネスというと、なんだかかっこいいのですが、料理人はもとが商売人ではないな、と思います。
ネタの原価など知らず、とにかく最高の仕入れから最高の料理が作れると考えてしまっていました。
そして、お金を貯め、修行場でがんばり、オーナー(料理人ではない経営者)から、独立してもいいぞ、といわれました。
それは暖簾分けの意味でしたが、自分は昔からの夢で店の名前まで決めていました。今となっては思いでですが、やはり、経営者としての修行は別に必要だ、と思います。
オーナーシェフでやっていけるのは規模が限られています。やはり、料理がわかる経営者と対等な立場のシェフで共同経営できるのが理想だな、と思います。

次の記事は創作料理系レストラン経営に携わっていた方の執筆による記事をお楽しみ下さい。

起業して良かった事 変わった事

今まで使われる立場で修行していたのが自分がしたいことがよりダイレクトにできるということ。
例えば、今まで自分では納得のいっていない焼き物に関しても今まではとにかく、表50裏50の割合だったのが、モノによって焼き加減が違う自分の理想を追求できる様になった。
小さなお店のため、店員の個人的な電話の音でさえもすごく耳障りに感じない用、マナーモードにする。昔ながらの良いところを徹底的に調べただ知らずにやっていたほんの些細な慣習も一つの業務として取り組む事ができるようになった。
できるだけ自分の得意分野でメニューを構成する事で自信を持ってお客様に商品を提供できるようになった。
今までどんな方向性でどんなお店を目指しているのかよくわからず戸惑う事もあったのに方向性をしっかりもたせることで、このお店の価値というものが少しではあるが見えて来る様になった。
プライベート面では自分の時間が作りやすくなったり、つかわれていた時と比べて、人間関係、人づきあいがふえた。家族との時間が多く過ごせる様になったり、家族も自分の仕事といいうものを理解してくれ、より良いものになった気がする。
そして何よりも自分自信が自信と責任をすごく感じている事にきがついた。

起業で学んだこと 失敗した経験談

自分のお店を持って早、七年になるが一緒に働く人にとって自分がどんな存在でなければいけないか、とかお客様に対してもどんな人、お店でなければいけないか、といった自分が・・という考えよりも人をすごく考えられるようにはなってきたと思える反面、自分を見失いそうになることもしばしば。
自分は本当はこんな事がやりたかったのか?自分というんおうこれでいいのか?などつまらないと言えばつまらない、そんな事をよく考える。
でも、自分が店を持ち、たくさんの人と関わることで自分なりにオールマイティーな自分がそこにいる。って思うことも多々ある。
これが本当にいいことなのか?それとも悪いことなのかは考えてもわからない問題だと思うけれど、自分はそんな自分が好きになってきている。
ただ、失敗してしまうこともあり、ダブルブッキングしてしまったり、二頭追うもの一頭も追えずみたいな人間関係は一番難しいと今でもおもう。
本業にかんしては、より良いもの、と売れないものを排除し、新しいものを取り入れようと試みるも、お客様に「あれ、この前あったあれ、なくなっちゃったの?」といわれてしまうこともあり、ちょっと望みを叶えてあげらあれないもどかしさが残ることもたまにあったりする。

効果的だったマーケティング方法

お店をやっていてくるし経営状況は必ずあると心していたが、本当に現実になるとなかなか対処できないもの。でも、自分でやるしかない、そう思ってはじめた仕事として自分の店を持った自分はもともと自信があったわけではないからそんなに苦しいと感じた事はない。
でも、先輩の経営者に聞く。これはある意味、数字ではわかりえないマーケティングなのかもしれない。この業種に関わらず、なんでもそうだけど、だからこそ大切に持っている。
自分が始めたときは「まずは一年続けろ、そしたら三年、できたら七年だ」ってこの助言は今でもよかったと思えている。

とにかく目標は大切。

細かい事で言えば飲食店ではABC表というどんなメニューが売れ、どんなメニューが売れなかったか、見てすぐにわかる資料は今でも活用している。
あと、物売りの仕事に欠かせないんのは棚卸だと思う。実際にお金ではないものの、在庫はお金に値す価値があり、それを把握していないと経営に大きなダメージさえも与えてしまう。
また、把握することで、それは力となり、飲食店に多くあるのは多くの在庫がある商品をどうにかしようと考え作ったメニューが当たるなんて事はよくある話だ。在庫は宝である。